『家庭の性教育って、何したらいいんだろう?』は、まず〇〇〇〇〇〇から?


数日前に読んだブログに触発されました。
以下、長文です。ちょっと内容固いです^^;;

 

さて、拝読したブログは、元学校の教員、という方が書いており、
つい数日前にある研修のサポーターとして、お目にかかった方でした。

その日は「児童虐待」がテ-マ。

 

8月20日
『児童虐待について考える』 


くればやしひろあきさん

「ハッピーな先生のハッピーな教室」

 

読後感として、
私が専門テーマにしている「性の健康」でも、全く同じことがいえると思いました。
性教育って、家庭の夫婦が仲がいい、が基本だと思うのです。

ですので、よく聞かれる質問、「家庭で性教育って、何をしたらいいのでしょう?」へのお答えとしては、まずは”ご夫婦の関係性”を心地よくすること、と思います。

 

一番身近な社会の人間関係が家庭、家族。

両親がいる場合は、そのご両親の関係から、愛情や信頼、信じること、など、

「性の健康」の基盤になる、人とのかかわり方を学べるのです。

※両親がいないから、ダメということでありません。

※両親の仲がよくない場合も、学びはあります。反面教師という言葉もあるし。でも、仲がいい親を見ているほうがいいものではあるでしょうね。かくいう私も、こちらのほうでした^^;;

現在、独身の私が言うのもナンですが、ご家庭のパートナーシップのあり方は、性の健康教育の基本です。

性感染症予防とか臨まない妊娠予防、異性交際は早い、SEXするな、etcetcの前に、

することや考えておくことがある、ということです。

 

お子さんに性に絡むことを伝える場合も、子どもとの関係性が基盤ですから、

家庭内での性教育は、やはり人との「関係性」がキーワードになりそうですね。

 

 

とはいえ、時間をかけて培った関係性は様々です。
保護者である親御さんは精一杯生きて、今があります。

すぐに関係性を転換できないときだってありますね。
生きていれば、そうそう、うまくいくときばかりではありませんものね。

そんな時は、こう考えてみてはどうでしょう?
「性の健康」は、家庭でのみ学ぶということでもないように思います。

家庭外での性の健康教育提供者を活用したり、
学校での性教育の内容を確認しておく、
言いにくいことは、学校の養護教諭等に相談してみる、など手段はあります。

ご自分の言葉で伝えられるときは、率直な正直な気持ちで

お子さんと話してみる・・・。

では、具体的に、どんなことを話したらいいのでしょう・・・?

(続く・・・)

 

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さて、
ここからは、ちょっと専門的な話です。

ご興味あれば、どうぞ^^

ご紹介したブログ記事に出ている児童相談所、専門職配置をやめた1980年代?から、非専門外のいわゆる一般公務員採用の職員が、異動で配置されるようになりました。これは、介護部門や保育部門でも同じです。

つまり、昨日まで土木課で事務していた、住民課で書類発行していた、という職員さんが、いきなり児童虐待や保育放棄、認知症になって親をどうしたらいいですか?、みたいな相談窓口に配置されるということなのです。
研修を受けて配置されるかは、自治体や部署によりさまざまなのですわね。

児相では、ある時期から、相談者への一次対応、まず窓口で受ける、この担当を一般職員にして、そのうえで振り分けて、臨床心理士や専門系職員にふりわけるという流れだったことがあります。
(私が保健師で勤務していたころもそうでした)
(いまはさまざま、この限りで無いと思われます)

けれど、相談の一次対応、振り分けとは、アセスメントなので、実力が必要なわけですわ・・・・。
1991年に研修したイギリスでは、子どもの家庭訪問をまず最初にする一次訪問者は、ベテランかつ力のある子ども専門訪問看護師(日本の保健師的)。その人のアセスメントにより、同じヘルスセンターの訪問看護師たちに振り分けられていました(今は制度が変化しています)。

日本だけでなく、こういった負の課題について、専門職配置の課題は、多くの国が抱えることです。

政策を考えるときに、重要なポウントですが、さて、私は、私たちはなにをすれば・・・について、いま、考えたことは、ご紹介したブログの筆者、クレバヤシさんが書いているように、孤育て、孤立を防ぐ、様々な切り口を、できる人ができるときにしていく、そして、その実践を政策に乗るように発言していく、がやはり大事だと思います。

孤立を防ぐには、ちょっと声をかける、それだけでも救われることがありますよね・・・。

たまたま、今日のらんちMTGでも、サードプレイス、の話が出ました。ほっとできる、癒される、ちょっと時間を過ごせる、そんな場所は大人も子供も必要です。
そういうことに向けて、少しずつ動いていこうと思う今日の午後でした。